2012年2月21日 星期二

粉乳中毒事件史の現在:森永問題とは何か(中)サマリー

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2005年1月、森永ヒ素ミルク中毒事件の加害者でも被害者でもない能瀬英太郎は、『森永ヒ素ミルク中毒事件:発生から50年、被害者救済の実施状況』を著している。そして同年11月、これに呼応する形で、被害者でも加害者でもない中島貴子は『森永ヒ素ミルク中毒事件50年目の課題』を著し、更にその二ヵ月後、これに対して被害者組織(守る会)が抗議文書を発信している。事件の発生から50年目にして起きるこの「対話」はどういう歴史的意義を有しているのか。事件の当事者でないわたしたちは、この「対話」を成立させるファクターを直視し、被告∕原告、被害者∕加害者の関係自体を主体的に組み替えてゆかなくてはならない。



2005年1月,既不是森永砷奶粉中毒事件的加害者,也不是受害者的能瀨英太郎,發表了『森永砷奶粉中毒事件:發生第50年,受害者救濟事業的實施狀況』。同年11月,同樣的既不是該事件的加害者,也不是受害者的中島貴子發表了『森永砷奶粉中毒事件,第50年的課題』,呼應著能瀨的著作。而在這著作發表的隔兩個月後,受害者支持團體(守る会)對中島貴子寄發出一封抗議信函。我們應該省思當事件發生第50年所產生的這「對話」究竟有何歷史意義?尤其並非是事件當事者的我們,更需要正視其「對話」的成立要件,主體性地重新界定,被告∕原告、被害者∕加害者的二元對峙關係。



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